ビジネスモデルを作ること

英語教室や塾。

玉石混交。目的や特徴もさまざま。私が対応できるのは、とりあえずは中学レベルまで。今の私の教室は「玉」の部類だ。それはほとんどマンツーマンでやってるから。これが、たとえ少人数制であっても、集団教育になった時にも「玉」であれるのかどうか、というところが問題だ。さらに発展していけば、講師をやとってなお「玉」であれるのか、ということになる。

「玉」であり続けながら、ビジネスとしても成り立つ──そのようなビジネスモデルを作らねばならない。そして、そのモデルを作ったときに、しかるべき投資ができるだけの財力も蓄えねばならない。忙しすぎるとビジネスモデルも作れないし、だからといってこの道だけ追ってると資金繰りがまるでつかない。そういった状況で、どのようにバランスをとりながら道を切り拓いていくのか?

青臭いかもしれないが、何か理、想というか夢というか。そういったものがないと、やる意味がないというか。

世の中には、自分の地位やアイデンティティのためだけにいろいろやれる人がいるのだなぁというのを改めて認識しつつ、自分のアイデンティティや地位は、人の役に立つ、というか、何かしらの現実が良い方向に転換するように、そういう働きかけのできるポジションに自分をおきたい、という、そういう欲望が抜き差しならぬ形で自分に巣食ってるなと感じるのだ。

自分の地位やアイデンティティのためだけに生きている人は、それでもそれなりに如才ないコミュニケーション力を持っていたりはするのだけど、それはやはり表面的なところで、それはとてもつまらない。プライバティゼイション──研究者の卵時代に誰かが何かの研究会でこの概念にこだわっていたが、今なんとなくこの概念が耳元をよぎっていくときがある。

作文力に関しては、うちに来てくれれば確実に上達する。あとは、その上達ぶりをどうすれば<可視化>できるのか、ということだ。しかも、わかりやすく。さらに、なんとなく書けるようになった、ということではなく、それはどこまでも進化し続けるものなのだ、ということ。

1か月3回でも作文をみっちりと書けば、数か月の間に書く力は確実に上達する。ある程度かけるようになればそのあとの進歩は見えにくくなるかもしれない。現在の学校で求められるレベルには、それだけでも十分応えられるかもしれない。けれど、教養を積み重ねて行こうと思えば、さらに地道な努力を続けていかなくてはならない。

そのへんだ。

ある程度書けるようになれば、みんなやめていく? まだぜんぜん足りないのに。

そして、英語。こちらはどうなのか。ただ、どのへんに目標を定めたらいいのかよくわからないが、少なくとも、高校入試の長文問題が他の生徒と比べてずいぶん楽に解ける!と感じてもらう程度には上達してほしいと思う。何か英作文を書けと課題を与えられたときにも、こう表現すれば伝わるかな、という感じをもってくれるようになったら、と思う。決して直訳ではなく。

 

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