高3生の娘が河合塾の模試を受けた。この激戦の時代、予備校もますますレベルアップして・・・と思いきや、国語の試験の質の悪さにびっくり。
センター試験対策の模試なのだが、答え合わせをしながら娘がぶーぶー言うので、問題を覗いてみた。
第1問目の評論文の設問。どうしてこの課題文を引っぱってきたかな? という軽い疑問はおいておいて、いちおう、文章の論理的流れを問う設問になっているように見受けられた。
ただ、その論理展開に関して、5択か6択で正しいものを選ばせるのだが、その選択肢を読んでると頭が混乱してくる。意味がわからない・・・私はバカなのか!? けど、消去法で考えると一つしか残らなかった。その残ったものも、意味がよくわからない一文が組み込まれているのだが、それしか答えは無いように思われた。娘も同意見。
しかし、答えは違った。
思うに、私らがバカなのかもしれない。予備校の出している「解説」を読んでもなお、というか、ますます理解しがたいのだが、もしちゃんとした人が説明してくれれば、「は!なるほど!そう考えますか!」ということもあるかもしれない。
しかし、今の私の思考の段階で思うのは、出題者は文章の論理展開をさほど理解せずに、この設問を考えたのではないかということ。理解する能力がないのか、あるいは多忙でじっくりと問題を作ることができなかったのか。歴史観についての評論文だったのだが、出題者は歴史観や歴史認識について基礎的な教養さえなかったのかもしれない。
解答は、問題用紙に印刷された文章の中から論理的に導き出されるものでなくてはならない。(小説の問題については、この点も守られていないという娘の報告だった)
さらに、設問の選択肢を作るためには、概念の置き換えや誤った読みをした場合の理解など、論理展開や語彙の意味への正確な理解が求められることは言うまでもない。私が今回混乱したのは、出題者がこの部分についてあまり理解していないのではないか、ということなのだ。
駿台の国語でも、受けた学生たちの反応は同じようなものらしく、おそらく出題レベルも同じようなものなのかもしれない。そういった要素も加味しつつ、受験生たちは、自分の能力が偏差値的にどのレベルなのか、ということを判断していかねばならない。