議論の根付かない日本

アレルギー、ヒステリック・・・

うんざりしてくる。

政権与党のやり方も確かに不快だし、非常に危ない道を進もうとしていると危惧もする。言葉の空虚さや細かな(細かいわけでもないのだが)価値観を共有できない部分もある。

しかし、与党の提案に対して闇雲に反対するあの人たちはいったい何? みんながしてるから自分もデモに行ってみる? 奇しくもインタビューされてた若い女の子がそのように言ってた。「こんなにたくさんの人が反対しているのだからやはりよくない法案だ」というようなことも。

それこそ、ファシズムへとつながっていくメンタリティである。

どんな日本にしたいのか? 平和が尊いのなら、どうすればその平和を守って行けるのか? 世界情勢は今どうなっているのか? その中で日本はどうあるべきだと思うのか?

日本はもはやいらない、という考え──一部にはどう考えてもそのような価値観に基づいているとしか思えない主張もある。更に不思議なことは、そのようなアンチ・国家の態度でいながら、中国・韓国に、「日本」として謝罪すべきだ、という。更に、どうやら謝罪すべき対象は中国・韓国だけであるというのも妙。あとのアジア諸国については、日本に謝罪を求めないのがおかしいと考えているようなのだ。そのように、他国の方向性を「おかしい」と決めつけることこそが帝国主義的発想の残滓であるということも自覚せずに──も含めて、議論する必要があるんじゃないか。

謝罪の要求が、人々の痛みから来ているというよりは、政治的駆け引きから発生しているというのは調べて分析すれば明らかになるだろう。ならば、いろんな条約や法律に照らして、たんたんと処理するしかないのではないか。

アメリカ、EU、中国、アフリカなどの地政学的関係などについても議論しながら合意を築いていかなくてはならない。

ごちゃごちゃ雑感を書いたが、違憲だ合憲だとか、もちろんそれも大切だが、どんな世界に私たちは住みたいのか?という合意を形成する熱い努力こそが、喫緊に求められていると思う。

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